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2012年 04月 20日
帰国しているのですが、ワタワタとしていて更新できていませんでした。
![]() 今回はアブダビに1泊、ヨルダンに8泊してきました。 初めての湾岸諸国上陸でいろいろ考えることもあり、 ヨルダンでは、シリア人、パレスチナ人、イラク人難民を訪問しました。 そして、合間に買い付け...ととにかく動き回ったのですが、 久々の中東、 ![]() これでもかというくらい、アラブ料理を食べまくり、 ![]() 毎晩シーシャ吸いに喫茶へ通い(また進化していたのよ!!!)、 ![]() たくさんの笑顔に会ってきました。 ![]() 落ち着いたら整理しないと。 あと、シリア雑貨 SAFAAの方も、ちまちまと新商品掲載しているので覗いてみて下さい。 2012年 03月 29日
![]() 理由は、シリアに近いからです。 体から中東が抜けてきたので、注入しに10日ほど浸ってこようかと。 あと、昨日無事に32歳になりました。 同じ生年月日のまきちゃんがくれたフクロウのお守りも持って行ってきます! 2012年 03月 21日
昨日、ついに在ダマスカスの日本大使館が閉鎖されたそうです。
![]() 12年前の旧市街の写真。 2年前にシリアから帰ってきて実家でこの写真を見つけた。 旧市街は何も変わっていないことがわかった。 12年前に何処を撮ったのか、わかりそうでわからなくて、それがとても歯がゆい。 ![]() 違ったことと言えば、当時はパパ・アサドが逝去したばかりだったので、パパの肖像画ばかりだったことだろうか。 ![]() ガラベーヤを着用してる人もダマスカスはかなり減った。 でも、「ちょっと待って欲しい!」ってときにシリア人がする仕草(写真上の左のおじさんみたいに、指先をすぼめて紐を引っ張りおろすような仕草)は変わってない。 ![]() photo by 撮影者不明 膝を詰めて2人でどんな話をしてたんやろ、親っさんと私。 親っさんはとにかく全身白すぎる。 私の巻きスカートはラオスで買った生地を母の知人が仕立ててくれたもので、旅に出るときはいつも持って行った。ネパールで買ったポーチの中にはカメラと財布とパスポート、折り曲げたガイドブックがパンパンに入っていた。 ダマスカスでは4日間ほど過ごした。特にこれといった思い出深い記憶もない。 シリア人は親切だなと思ったけど、『また来たい』とか『また見たい』とかそういう感情は、当時この国では沸いてこなかった。むしろイスラム圏はゲップが出そうなほどお腹いっぱいになっていた。 そんな私が10年後に戻ってきて、しかも住み着いたなんてね。 2012年 03月 17日
今までの旅で唯一の無賃乗車は、ベイルートからトリポリへのバス。
![]() 時計塔にはうっすらと記憶がある。 アレッポにハマに...中東の街にはランドマークになる時計塔がけっこうあった。 ベイルートで無駄に緊張していた私は、トリポリ行きの高速バスの中で乗車賃を払うタイミングを逃し続け、レバノンポンドを握りしめたままトリポリで降ろされてしまった。お金は浮いたけど、その土地に馴染めてない自分にへこむ。 今度こそ自分で宿を見つけないと! メモ帳に書き写したトリポリの宿情報と地図を時計塔に重ね合わせる。でもいつもそうだけど、進むべき方向が全くわからない... するとレバノンメンが近づいてきてメモを覗き込んできた。 「ここか、知ってる知ってる、付いてこいや!」 みたいなことを言いながら得意げに顎をしゃくり、先に立って歩き出した。また強面のオヤジみたいなとこだったらどうしようと不安になったけど、こういうときは考えるのが面倒くさくて、大抵付いていってしまう。 辿り着いた宿は、路地裏のこじんまりしたペンションみたいなとこだった。部屋も清潔でオーナー夫婦は親切だった。ベイルートの安宿は都会の場末感たっぷりの、とりあえず寝られればいいみたいなとこだったので、ほっとする。 旧市街を歩くと子供たちの笑い声が絶えなくて、人々は気さくで、シリアみたいだった。 ![]() ![]() 撮影してた私もきっと笑ってたんだろうって思えるくらい、どの子供たちも無邪気に笑っている。 この写真↓からもリラックスしている様子が伺える。 ![]() photo by 撮影者不明 だってハンマーム(アラブ式銭湯)の男湯に普通に入っているから...! 今じゃ絶対出来ないし、したいとも思わない。背中でも洗ってあげたんだろうかと思うくらいの接近ショット。 夜も賑やかだけど、騒がしい感じとは違う安定感があった。 夜間の停電時、人々はバルコニーへ出てろうそくを灯し、シャーイを飲んで談笑していた。私もバルコニーに出て日記を書いたのを覚えている。 私の記憶するトリポリは、そんな街。 今でも爆弾テロが頻発しているとニュースには出てきても、そこには人々が住んでいて、普通に生活している。ニュースを眺めながらいつも想う。その先にいる人たちのことを。 ![]() 写真に目を凝らすと、壁に無数の銃弾の跡。この街も悲しみをたたえた街だ。 2012年 03月 15日
ハマからホムスを抜けてレバノンの首都、ベイルートへ。
ベイルートの記憶はあまりない。 当時のベイルートは、街全体がギスギスしていて物価も高いし(物価は今もだけど)、何だか落ち着かなかった。 ![]() 到着したバスターミナルの近くに安宿はあるはずだった。 どっかの情報ノートから写したアラビア語で書かれたホテルの名前を、近くにいたちびっ子に見せる。するとちびっ子が剥き出しのコンクリートの階段を上って案内所?(今思えばそんなのあるわけない)に連れてってくれた。 簡素な部屋には自動小銃が机に投げてあり、まわりに数珠つなぎの銃弾が散らばっていた。でんと腰をかけているムキっとしたオヤジにちびっ子がメモ帳を渡す。 このオヤジポリスメンなの?それとも兵士? オヤジは薄い肌着のようなシャツに迷彩柄のカーゴパンツで暑そうにしていた。 でも、私は背筋が凍りそうだった。装着されてない銃の方が怖いとその時思った。 ひげ面で強面のオヤジを見上げながら、早く逃げたかった。 その後、どうやって宿にたどり着いたかは思い出せない。 余計なことにならないように、ベイルートはあまり出歩かず、翌日すぐに街を出た。「またあのオヤジみたいな人にお世話になるのはご免だわ」と思って... なのでそれくらいしか記憶がない。 でも、あの時は旅の仕方を間違えたんだと思う。 ベイルートは素敵な街だと思っている。地中海に面した建物や道行く人々は、他の中東諸国より幾分も洗練されてる所とか、悲しい歴史が繰り返されてるのにそれをあまり表面に出さず、うじうじせずにすぐ立て直す所とか。 上の写真はまさに私の思うベイルート。 壊されても壊されても(写真右)、粘り強く再建して(写真左)何事もなかったかのように華やかに暮らしている人たち。 この写真は2000年のものだからレバノン内戦終了から約10年後のベイルートの街。それからかつて『中東のパリ』と呼ばれた美しい街へ、急ピッチで再建が進められていた。 でもその後、2006年にもイスラエルによるベイルート空爆があって、再び高層ビルは崩れ落ち、たくさんの人が殺され、美しい街並は瓦礫と化す。 私はベイルート空爆のニュースを日本で知り、 「なんでまたレバノンなの...!」 とイスラエルに怒り狂ったのを覚えている。 そして2010年、再びベイルートへ。 再再建は進んでいるのだろうか... ![]() ベイルートは空爆なんて無かったかのように、また美しさを取り戻していた。 どこから沸いてくるのか、その底力に金ぢから...ただただ脱帽。 もちろん貧富の差はあるし再建が進んでるのは都市部ばかりだ。 でも、アフガンやイラクみたいにいつまでも治安の安定しないような状況が続くことはなく、落ち着いたらまたビジネスに、観光にと外国人が集まって来るのだ。 ある意味、割り切った街だと思う。
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