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2012年 02月 29日
パルミラからハマへ。
ハマの町が今どうなってるのかは、不明。 でも、日本でもしょっちゅうニュースに出るようになった戦闘の最も激しい町ホムスから、バスで30分程度の町なので、ある程度は想像できる。 ![]() photo by 撮影者不明(2000/8) 中心に大きな水車のある公園(思い出しただけで泣けてくるあの有名な水車のある公園...!)を1人で散歩してたら、芝生でランチ中の大家族が声を掛けてくれた。 子供たちに手を引かれて輪の中に入り、お母さん手作りのファラフェルサンドをご馳走になる。 包み紙の先を食べやすくちぎって差し出してくれるお母さん。横では長女らしき子がシャーイを小さなグラスに注いでくれている。 遠慮なくアラビア語で質問しては勝手に笑って寄せてくる肩... 話しながらヒジャーブを巻き直す指先... 水筒のシャーイは、大抵ぬるくなってるけど甘くておいしい。 いつものシリアの、いつも流れてた時間。 どこの町に行っても、みんな当然のように親切に迎えてくれた。 ![]() ↑これは1年半前に行った時。細い石畳と小さな石造りの建物が並ぶハマの旧市街。 10年経って、町は少し華やかになったけど人は変わってなかった。 ↓こんな写真も当時は冗談たっぷりで撮ってたけど。 ![]() 平和過ぎた頃のシリア。 誰も、この子達だって、こんな日が来ると思っていなかった。 2012年 02月 13日
先月までダマスカスに行っていた友達(前のメールの差出人とは違う、日本人)と会った。
ダマスカスの中心部の人は変わらない生活を送っているとのこと。でも観光地には入れなくなっていて、外国人、中国人ですら姿はほとんど見かけなかったらしい。 <ダマスカス市内> ・最初に住んでたホテル周辺→ この辺りはウマイヤドモスクやスークハミディーエを中心に旧市街と呼ばれているエリアで、見張りのポリスメンの密度も濃いせいか、反政府デモはほとんど起きていないとのこと。アサド政権派も多いのだろう。 ![]() ↑ホテルのスタッフだったユセフとムハンマド。アラビア数字も言えなかった私と根気よく毎日おしゃべりしてくれた2人は、シリア北東部のハッサケ出身。反対政府派に入ってデモに参加してるかもしれない。 ・次に引っ越したバーブ トゥーマ→ キリスト教地区だからかアサド政権派。洒落たカフェやレストランは今も営業していて、私が住んでた頃と雰囲気はほとんど変わらないそうだけど、以前よりアサドポスターが街には目立っているとのこと。 ![]() ↑ホームスティ先の次男マーク。シリアの中ではキリスト教徒の家庭として、中の上くらいの不自由ない生活をしていたけれど、アサド政権が倒れたら彼ら一家は国外に逃げるのだろうか... ・半年間住んだルクナッディーン→ この街はダマスカス出身の人というより、地方出身者やクルド人などが多く住んでるイメージが強かった。反政府派が多く、壁は落書き(反政府派による)防止のために真っ黒に塗られていると。よくしてくれた大家さんはどうしているだろうか。 ![]() ↑大家さんとこの長男ルビンはそろそろ小学校に上がってるはず、元気にしてるかな... ルクナッディーンはまだデモはそれほど激しくないが、隣町のバルゼ(距離間のイメージとしては高円寺と阿佐近年ヶ谷間くらい)はデモや暴動が頻発していて危険だったから行ってないと。 ・学校のあったメッゼ周辺→ 大きな混乱なく、私の通ってた学校は今も開講中とのこと。 ![]() ↑クラスメイトだったアシア(左from フランス)、ファーティマ(右fromハンガリー)は親の事情でシリアへ来ていて、シリアに永住予定だと2人とも話していた。彼女らはこれからどう生きていくのか。 ![]() ↑愛しのりえ先生の愛息子マハムード。りえ先生の家はムハジュリーンという外国人が比較的多く住んでる所にあったから、デモも少なく安全じゃないかと願っている。 ちなみに、ダマスカスで行われていたデモは大きく分けて2種類。 1つはアサド政権派によるポリスメンに守られたデモで、ゆるーい感じで集まったアサド支持者が街を練り歩くので、昼間の旧市街などの中心地で行われている。 もう1つは反政府派によるデモ。こちらは停電の真っ暗な場所を選び、「アッラーは偉大なり!」と暗闇で聞こえたと思ったらぞくぞくと人が集まって群れを成すようなデモらしい。こちらは発見されたらポリスメンによって解散、場合に寄っては拘束されるとのこと。 <ダマスカス郊外> ・ソランジュの住んでた街、ドゥーマ→ ここは近年土地を切り開いてできた高級新興住宅地みたいなところだったので、アサド政権派が多いのか落ち着いていると。ソランジュ一家はシリアに残っているのだろうか?彼らはシーア派だった。 ![]() ↑ソランジュの次男レイス。彼はいつもフランスに帰りたがってたけど... ドゥンマという似た名前の郊外の街は、治安部隊と反政府派の交戦が続いていて大変なことになっているらしい。 デモのない地域でもプロパンガスや電気の不足が続いているので、料理の大好きなお母さんたちもガスを節約する日々が続いている。停電も私がいた頃は週1回程度だったけど、今は電気を使用出来る時間が1日5時間程度だと。 ・イラク難民が多く住んでる別名リトルバグダッド、サイード ザイナブ→ シーア派の聖地なのでイランとのつながりが強く予想通り、ガチのアサド政権派。イラク難民がまた路頭に迷うことがないように、彼らが再び混乱に巻き込まれることがないように祈っている。 ・マアルーラ→ ここもキリスト教地区なのでアサド政権派でアサドの巨大なポスターが掲げてあったらしい。美しい街並は変わらないけど、街に人影がなくひっそりしていたと。 こうして見ると、ダマスカス市内はアサド政権が圧倒的に多い。アサド政権を恐れているから支持にまわっているという人もいるかもしれないけど、ダマ人は一般的にアサド支持者が多いと感じたと友人は言っていた。 ウマイヤド広場でアサドが演説をしたときは、もの凄い数の観衆が集まり、その日は演説に歓喜したアサド派のデモが街中のあちこちで起こり、反政府派の多く住む郊外の街に滞在していた友人は、セルビスに乗って市内に行こうとしたけれど、反政府派のデモ防止のためにセルビスはUターンさせられてしまったと。こういうことは度々起こったらしい。 友達が滞在させてもらってた知人(シリア人)は、「アサド政権には多少の不満はあったけど、そこまで嫌ではなかった。でも今回の抑圧の仕方は許されるものではないから、どちら側だと訊かれたら反政府派と答えるしか無い」と答えたと。実際そのように考えている人が多いんだと思う。反政府派も民衆に危害を加えているという話は友人のまわりでは無かったとのこと。でも、それが無いとは言えないと。反政府派も内部で意見が対立してきているみたいだし(ほら、知ったこっちゃない)、シリアの結末がどっちに転ぶか誰もわからないと言ってるし、想像もできないと。 安保理の経済制裁は正式には加えられてないけれど、海外に企業はどんどん撤退しているので経済は破綻するし、失業者が増加してきている。これから更に制裁が加えられたら一番に苦しむのは国民だ。反政府派を支持するわけではないけれど、これ以上シリアが疲弊していくのを食い止めるにはアサド政権に降りてもらうしかないと考えている人が多いようだ。 ま、それこそ西欧諸国の希望通りということなんでしょう。 私が友人から聞いた話で一番悲しかったのは、今のダマスカスはみんな自分やそのまわりに精一杯で、誰か困ってる人がいても前みたいに全力で助けたりするような光景がなくなったということだった。治安も悪くなったって。 シリアの良いとこって、そこだったのに(唯一と言ってもいいくらい...)。悲しすぎる。 2012年 02月 09日
アラビア語教室が一緒だったお姉様が時々開催しているというアラブ料理教室へ行ってきた。
![]() そのお姉様は都心のタワーマンションに優しくて素敵な旦那様(私が言うなという感じだけれど)と住んでいて、見るからにセレビーな生活なんだけど全く鼻にかけてない感じとか、遊びに行ったらお料理がとっても上手で気配りが完璧なところとか、恋愛相談すると一生懸命考えてアドバイスしてくれるところとか...とにかく一緒にいるとこちらが気持ちのいい方なのだ。 アラブ好きだけど酸いも甘いも知っているところも。 会場は、東京タワーを中心とした高層ビル郡を見下ろす36階のマンションのパーティールーム(たぶん)。参加されてる方も素敵なマダムさんばかりで、医者の奥様とかCAとかお花の先生とか... 想像出来ると思うけど、私は浮いていた。 ま、そんなことは気にせず、何処でも馴染もうとする気合いだけは長けていると思っていますので、ドジらないようにしつつ、楽しんで参加してきた。 今回のテーマは『アラブ料理でバレンタイン』。 まずはナツメヤシ、白いちじく、ナッツ各種、ドライフルーツ、くこの実などアラビーなトッピングが揃えられていて、溶かしたチョコの上にデコレートしていく『ハブーブ アラ ショコラータ』。 ![]() ![]() 一作目はアラビア語で『حب=Love』、バレンタインなのできゃぴっとしてみた。 ![]() もう一つはゴールドとシルバーを敷きつめて、ドバイの砂漠をイメージしてみた。 (行ったことないけど) メインはファラフェルサンド。ホンモスは帰国してから何回か作ってるけど、ファラフェルは作ったことなかったから嬉しかった。 ![]() 通常のファラフェルはもっとディープに揚げるんだけど、お姉様は重くなりすぎないように、マダムさんたちのお口に合うようにとオーブンで焼いてみたり試行錯誤を重ね、最終的にオリーブオイルでの両面焼きにアレンジしたそう。で、せっかくなのでハート形ファラフェルも作ってみた。 ![]() ![]() 手前のケーキはヨーグルトをたっぷり1パック使用した『ガトー ショコラータ マア ラブネ』 ![]() 中東のゴマ菓子ハルワを丸めてチョコレートをコーティングした『ハルワ ビ ショコラータ』 アラブ人は食に関しては(ま、それ以外もだけど特に)保守的なので、ハルワはハルワとしてしか食べないアラブ人が見たらびっくりしそう。私もハルワだけだと甘くてダサい印象があったので食べたことなかったんだけど、これに岩塩をまぶして食べると...おいしい! ![]() そして、ポモー・ド・ノルマンディーをザクロとアップルで割った、これまたシャレ乙なお酒。 ![]() 完成したらみなさんで食事。 いつものブストークは封印し、優雅な会話に寄り添ってみるのも心地よいのもだ。 アラブ料理と言ってもゴテゴテじゃなくて、適度なアレンジを加えてあるので馴染みのない方でも食べやすい。私にはファラヘルをかじった時にすっと鼻に上がるクミンの香りが懐かしかった。 いやー、素敵な料理教室だった。 アラブ料理よりも何よりも、上品な立ち振る舞いでありながら茶目っ気たっぷり、そして参加者を気遣いつつ自分が一番楽しんでいる様子が伝わってくるお姉様と、楽しい時間を過ごせたことに満足した日でした。 2012年 02月 07日
シリアが、勝った...!
![]() (昨夜からFBでもtwitterでもしつこいと思いますけど) 昨夜は夜勤で、そわそわしながら病室をまわってはテレビ中継を覗き、ネットの速報に耳を傾けてただけで観戦もできていない上、試合の質がどうだったかとかは私にはわからない(正直そういうのはどうでもいい)のだけれど、勝った瞬間はナースステーションで一人、飛び上がりました。 アサド政権派も反政府派も、あの瞬間だけは敵とか味方とかそういうの一切取り払って、 シリアの勝利をみんなで祝ってくれたであろうことを願います。 2012年 02月 02日
ダマスカスに居る友達からのメールにはそう書いてあった。
![]() ロシア次第だと思っていた。 今回の安保理のシリアに対する決議案は、遂にロシアも賛成するのではないかとニュースで言われていて、そしたら制裁と言う名のリビアみたいな空爆が始まってしまうーーーー!!! って、ここ数日はらはらしていた。 で、蓋を開けてみればロシアと中国は今回も反対。 ロシアvs西洋諸国。 シリアの領土を利用して、軽く冷戦状態。 反アサド政権派の中心であるイスラム同胞団に、アメリカ政府は2005年から資金援助を続けている。それは過去にアフガンを占領したソ連を排除するために、タリバンに資金や武器を援助していたのと全く同じこと。もしイスラム同胞団がアサド政権を倒したら、どうせタリバンみたいに見捨てるに決まってる。アメリカにとって、アサド政権が倒れたら同胞団に用はない。イラクから始まってどこまで中東を滅茶苦茶にしたら気が済むんだろう... シリアに住んでる友達は、『反政府派による攻撃でも民衆が殺されている』と言っているけど、情報操作されているのかそういったニュースは日本には流れてこない。日本の報道は、アサド派が民衆を殺しているという内容がほとんどだ。 友達(イスラム教徒)は、マイノリティーに穏健だったアサド政権が倒れてイスラム同胞団が政権を握ったら、キリスト教徒やドルーズ族はシリアに居れなくなると言っている。 私は真実が知りたい。シリア国民は本当は何を望んでいるのか? アラブ連盟がシリアに監視団を向かわせたけど、意味がなかったと報告している。 意味がなかったというのは、力が足りなかったというのではなく、そもそも監視する必要がなかったのでは?と考えてみたり。 チュニジアやエジプトはあんなにすぐに堕ちたのに、シリアは粘っている。国民も、兵士も、アサドも、みんな十分疲弊したことだろう。そろそろ平和に暮らしたいはずなのに... ![]() < 前のページ次のページ >
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