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2014年 08月 15日
この時期になると、訪問先の患者さんに戦中、戦後の話を聞いている。
Aさん 男性 83歳 麻布十番商店街生まれ、育ち。 戦後、焼け野原の中から焦げた電線などを拾い集めて、東電に持って行って売り、小銭を稼いだ。 Bさん 男性 88歳 江田島の海軍兵学校で終戦を迎える。戦争が続いていたら、自分は今この世にいなかっただろう。兵学校での訓練はとても厳しいものだった。当時の同窓生とは今も親しい付き合いがある。 Cさん 女性 86歳 杉並区の浜田山に住んでいた。当時は女学校を卒業したばかり。浜田山近辺に空襲はなかったが、周りが火に包まれるのを見て怖くなり、一家で岐阜の親戚の家に疎開した。 玉音放送はラジオで聞いた。声が小さくてよく聞き取れなかった。戦中より戦後の食料不足の方が大変だった。 集団的自衛権は必要だと思う。もう時代は変わったから。 Dさん 女性 94歳 神奈川県の保土ヶ谷の坂を登った所に住んでいた。 横浜大空襲の時、家から見下ろした横浜の街が火の海だった。それを家族で見ていたら、帰り際にB29が残った弾を保土ヶ谷に落としていったので、Dさんの家も焼けてしまった。 そのまま、歩いて麻布の実家まで夫と1歳の娘と避難。途中海岸沿いで空襲に遭い、穴を掘っただけの防空壕に逃げた時は、もう助からないと思ったけど、頭の上をB29が過ぎて行った。 普段は認知症で1時間前に食べた食事が思い出せないと笑うDさんだが、戦時中の事を訊ねると、細かく話してくれた。 可能な限り、来年も。
by tamura_ikkyuu
| 2014-08-15 14:34
| 日本
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